判断主体にならなくても生きられるのか

──「健康で文化的な生活」を金額と仕事で分解する

はじめに

世の中には二つの役割がある。

判断する人 判断された通りに動く人

どちらが偉い、という話ではない。

重要なのは **「どの立場を前提に人生を設計しているか」**だ。

問題は、多くの人が

判断主体になる設計を持たないまま

判断主体であるかのように期待されている

ことにある。

では現実として、

判断主体にならない人が

日本で「健康で文化的な最低限度の生活」を送るには

何が必要なのか。

① 金額で見る「最低限の生活」

まずは現実的な数字から見てみよう。

単身・地方都市想定(東京除く)

月額の目安として

家賃

4〜6万円

食費

3〜4万円

光熱・通信

2万円

交通・日用品

1〜2万円

医療・雑費

1万円

合計

11〜15万円

年収にすると

**180〜230万円(手取り)**が目安になる。

これは贅沢でも貧困でもない。

「倒れず、壊れず、静かに生きる」水準だ。

② この金額を稼げる仕事の特徴

ここが重要だ。

この水準を安定して満たす仕事には、

はっきりした共通点がある。

判断主体にならない仕事の条件

作業内容が 定義されている 正解が 外部にある 判断は 上位者が行う ミスの影響範囲が 限定的 需要が 景気に左右されにくい

具体例を挙げると:

製造・物流の現場作業 清掃・設備保守 介護・補助的医療職 インフラ運用の末端 ルーティン型事務 マニュアル化された接客

これらは社会に不可欠で、

同時に 判断主体を要求しない。

③ 「なれない人」ではなく「選ばない人」

ここで誤解してはいけない。

判断主体にならない人は

能力が低い人ではない。

多くの場合、

不確実性が強すぎる 正解が見えない状態が苦手 認知負荷に弱い 自責が過剰に働く

といった 特性の違いだ。

そして重要なのは、

この特性は 矯正すべき欠陥ではないということ。

④ 問題は「判断主体を前提にした教育」

多くの教育や自己啓発は、こう言う。

自分で考えろ

主体的に判断しろ

正解は一つじゃない

これは 判断主体向けの言語だ。

だが、判断主体にならない設計で生きる人に

この言葉を投げ続けるとどうなるか。

書けない 決められない 動けない 自信を失う

そして「やる気がない」と誤解される。

⑤ 判断主体でなくても、人生は成立する

ここで一度、はっきり言っておく。

判断主体にならなくても、人生は成立する。

必要なのは:

自分が「判断する側」か「実行する側」かを知ること それに合った生活費と仕事を選ぶこと 無理に上の言語ゲームに入らないこと

タンポポを載せる役割は、

皿を作る役割と同じくらい必要だ。

⑥ 判断主体を目指すかどうかは、後で決めていい

特に若い人ほど、

10年・20年スパンで考える必要がある。

今は判断主体にならない 生活を安定させる 認知負荷を下げる 必要なら後で判断主体側に移る

この順番でも、何の問題もない。

おわりに

「なりたい自分」より先に、

「成立する自分」を設計する。

それができた時、

初めて本当に自由に選べる。

判断主体になるかどうかは、

その後でいい。

タイトルとURLをコピーしました